2015年9月29日火曜日

移植17回目D15 二段階移植を懇願!(笑)

D15 内膜チェックにいきました。
7.8ミリ・・・・。おそらく他の人にとっては薄い!という数値かと思われますが、私にしては上出来の厚さ。院長も今までに比べたら上出来!8ミリは理想で6ミリあれば移植する対象と言われました。

そこで、、、今まで実は既に2度聞いていて、今度が3度目ですが

「二段階移植について相談させて下さい」と勇気を持って話を切り出しました。
というのも断われると分かっていたからです。

どのクリニックにも方針があります。最初2年前は培養士さんに「最初の卵を二度目の移植の時に傷つけてしまう可能性もある」「多胎児の可能性」を言われました。次に院長にきいたときも「薦めない」と言われてひきさがりました。

でもクリニックの院長ブログには二段階移植で妊娠した人のエピソードもあるし、料金表にも明記されています。

で今回も聞いてみました。
二段階移植についてはこちらに

メリットに関して院長は
「結局二段階にしたからいいのか、二つ戻したからいいのかその因果関係は分かっていない。初期胚が信号を出しているとしても本当にそれが原因で妊娠に至っているのか証拠がない。だから世界的にも行っているところが少ないのが現状。結局確率的には変わらないので今はうちは積極的にこちらからは薦めていない。」

予想通り

とはいえ私の場合はもう17回目です。ここまできて多胎になる確率は低そうですし、なったとなったらもう神様の思し召し。さらに、高齢だと胚盤胞で妊娠しなくても初期胚だと妊娠したという「うわさ」レベルの話もあるし、これまでちょっとでも陽性反応がでたのはツインズだった時の初期胚2個同時移植1回、前回も初期胚2個移植での陽性反応、もちろん胚盤胞移植でも他2回化学流産あるけど・・・

それよりなにより「いままでと違う事を試してみたかった!」が本音。

せっかく初期胚2個、胚盤胞5個凍結しているので、ここは1回試してみたい。が本音。

患者さんが強く望むならやらないことはない。。。との院長の言葉で

「ではお願いします!」とお願いしてきちゃいました。

移植は今度の土曜日と月曜日になりました。

「人事を尽くして天命を待つ」

2015年9月24日木曜日

誕生死した息子のこと2(供養)

他の方がどうされたかは解りませんが、なにせ小さな小さな亡骸をどうしていいのか最初は何一つ解りませんでした。

ネットを彷徨い、いろいろな経験談を読み、検索をかけて、私なりの方法を見つけていくしか有りませんでした。

1.火葬。

業者に頼まれる方もいらっしゃるようですが、私達は自分で手配しました。公営の火葬場に電話してどうすればいいのか相談しました。使用料は子供は数千円でした。子供は朝一かその日のラストです。
 私達は事前に火葬場の事務所に出向いていろいろ相談しました。退院して、出生届けを出し、そのまま死亡届け、そして火葬の書類をもらって、そこから火葬場に相談しました。その間は息子は病院に預かってもらっていました。
 火葬場には骨壺も売っています。でも子供用はなく、分骨用の小さな骨壺を買っておきました。数千円だったと思います。

2.棺。

火葬を自分達でするので棺が必要です。病院が用意してくれた白い化粧箱でもいいのですが、ネットで検索すると子供用のかわいい棺を買える事が解りました。その中でも一番小さくて白い布張りの棺をみつけました。いろいろ解らない事もありその業者に直接電話して質問しました。その時、私は事務的に淡々と話しをしていたのですが、最後にその業者さん(男性の方)が、、「お母さん、今は出産後で体もキツイでしょ、無理しないで」とやさしく気遣いの言葉をかけて下さったのには驚きました。そこで涙が決壊し、電話を切った後もしばらく泣いていました。

 泣くことは重要なようです。

こちらのサイトです。本当にありがたい言葉でした。
天使のSORAさん。家送葬通販さん
http://www.tenshinosora.com/index.html

3.写真。

出産してからは、病院にはとても気を遣ってもらいました。
  1日は同じ部屋で過ごしました。もちろん保冷剤を体の下や横に置いて、時々取り換えて、冷房を付けっぱなしにしていました。その間、沢山の写真を撮りました。
  そして、これは賛否両論あるとは思うのですが、遺影にする写真はネットで画像処理してくれる業者に依頼して紫色に近い肌を、所謂肌色に近くしてもらいました。ネットですので頼みやすかった事もありますが、作業する方には申し訳ないのですがとメールをして、なるべく肌色にしてくださいとお願いしました。みれば普通の大きさの赤ちゃんではないことは解りますし、色も紫。おどろかれたかもしれません。でも数日後に見事に違和感なく、肌色になったタオルにくるまれた息子の写真が届きました。これを遺影にしました。



4.遺骨ペンダント

小さい子だと骨が残らない事も多いのですが、息子は骨太だったのか、、、しっかり骨が残ってました。あーここが肋骨ね!骨盤ね!って解る位に。それでも分骨用の骨壺の底が埋まる程度にしかなりませんでした。
  私はその遺骨を遺骨ペンダントにしました。様々なものがあるのですが、普通の洋服で付けていても違和感なく、毎日ずっとつけていられるように、ちょっと金額ははりましたが、プラチナ製ものにしました。
  そのサイトの運営者の方からのメールにもまた泣かされました。その方も同じ様に子供を亡くし、それがきっかけでお仕事されているようでした。同じ経験の方からの、励ましは、どこか心に響くものがあって、何度もそのメールを読み直して泣きました。

こちらです。
http://memoria-areca.net/

供養の仕方は人それぞれかと思います。賛否両論あるとは思います。

でも私は「なかったこと」にはしたくなかった。その一点でした。あの子はちゃんとお腹の中では元気に動いていたし、3D超音波画像はもうかわいくて仕方なかったし、ちゃんと人間の形で産まれてきて、決して「なかったこと」にはできなかったのです。

 妊娠途中でダメになってしまうと、周りはなかったことにしてくれます。もちろんよく解らないからですし、私を気を遣っての事です。私もまったく想像できませんでした。昔、法律の授業で胎児は人間かみたいな議論を聞いた時にも、まったく想像できず、胎児はまだ人間ではないのかなぁなんて思った事もあったくらいです。でも、本当は産まれる時期ではなかった子供の姿は、ちゃんと人間だって思えました。だから、もちろん知らない人に訴えるような事はしないけど、私の中だけでも「なかったこと」にはしたくなかったのです。

 これもエゴでしょうか。

2015年9月20日日曜日

誕生死した息子の事1

少しずつ 早産で亡くなった息子の事も。

頸管長がもう殆ど無くなって・・・切迫流産で入院したとき、ベッドの中から必死に検索をしてぼんやり解ってきたことは、
お腹の中で心音が聞こえなくなると死産になる。。。。でした。
(※以下、死産された方には不快でエゴ丸出しのコメントになるかもしれません。ごめんなさい。)

担当の先生に質問しました。

「何分生きていたら新生児死亡になるんですか?」

産まれてから亡くなったということになったら、出生届を出して、その後死亡届けをだします。

 正直申し上げると、私のエゴ、親のエゴです。でも、長くは生きていられなくても名前をつけて、夫婦二人の子供として出生届を出したかった。
(やはり、こう書くと、親のエゴに思えます。でも正直な気持ちでした)

出血があり、破水し、

 そこから1日半出産には掛かりました。心音確認の時は毎回ひやひやしていました。分娩室に入ってから最後の心音を聞いた時
看護婦さんに「心音あるよね!」と叫んでしまいました。

 エゴだったかもしれません。いえ、本当にエゴです。。。。傲慢なエゴでした。

それでも「生きて産まれてほしかった」

そんな私のわがままな想いに息子は懸命に応えたのかと思うと、本当は辛い想いをさせたのではないかと後悔します。

 必死で心音を打ちながら産まれてきました。でも長くは持ちませんでした。肺ができていない状態でした。

 少しバタバタしている様子が見えました。

看護婦さんに「生きてる?」って聞いたら

看護婦さんは厳しい、凛々しい顔をしながらも何も言わずに首を縦に振ってくれました。

今でもその凛々しい看護婦さんの顔が忘れられません。

 「会いに来てくれてありがとう」私は息子にそう語りかけるのが精一杯でした。

名前をつけて、出生届をだし、同時に死亡届をだしました。
役所のお姉さんも気を配って下さり、「母子手帳に出生の記録書きますよ」と言って下さいました。ありがたかった。

 みなさんに感謝しました。

そして息子にありがとうとお礼を言いたい。

2015年9月18日金曜日

17回目スタート!

D4 胚移植17回目がスタートです。

今日はクリニックへ
最初何も言わないと、卵胞ホルモンだけの処方になりそうでした。不妊治療はお医者さん任せではできません。お医者さんは毎日何百人とカルテをみて、たとえ4年かよっていても、たとえもう採卵10回、移植17回目でも患者を覚えていません。分厚くなったカルテ(手書きなので)みるのも大変です。→これから電子カルテになれば変化するかもですが・・・。

すかさず!「待って下さい!」と制止。
私は内膜厚くならないので、「全部のせで!」と訴えました。(ラーメンではありません)

追加で
バイアスピリン
ユベラ(ビタミンE)
エストラーナテープにあればアルギニンものせて!(笑)

先生は前のカルテを確認して追加してくれました。でもアルギニンはもう試供品がなくなってしまったので出せませんとの事。このアルギニン、製薬会社が試供品を提供していて、これまで3回無料で貰ってました。内膜に繋がったかどうかは別にして、アルギニンを飲んでるとすごく元気でいられたのでお願いしたら、、、もうなくなっちゃったと。残念。

他のビタミンサプリにアルギニンも入っているのでそちらを多めに摂ることにしました。

そして内膜擦過法も聞いてみたけど・・・・うーんと唸る先生。

前回は薦めたくせに、今日は薦めない。その時の気分なのかなぁと思ってしまいます。

でも私としてはこの擦過法、効果はいまいちです。あくまで私にとってはなんですが、痛いし、鈍痛続くし、結果もでなかったしで。

誕生死後(胎盤遺残しました)はなかなか内膜が厚くならなくなりました。

妊娠したときは10ミリ超えですが、最近は最高でも9.6ミリ、普段は8ミリに届くか届かないかのところ。9.6ミリいった時は先生も「いいじゃない」と言ってくれてその時の胚盤胞はグレードAAだったものですから、「絶対妊娠できる!」なんて思ってしまいました。陰性だった時はショックでしたね。

10ミリ超え、今回はどうでしょうか? 

とりあえず、鍼灸、ウォーキング(本日疲れたから明日から(笑))、冷えとり、サンマット(小さいものだけど・・・買ってます)

そして一番難しい「ノンストレス生活」・・・・無理だな。

もとい

ストレスレス生活頑張ります。

内膜厚くなれ—!!!!

2015年9月17日木曜日

鍼灸でリラックス

D3(移植17回目)
 さて、まだ16回目も上手くいかなかった事のショックはくすぶっているのですが、リセットしたら次の周期です。早く立ち直らなければと思うのですが、難しいものです。
 
 気持ちがわさわさします。いてもたってもいられない震えのようなものも襲います。

でも、「またか」と思う事にしています。「あーまたやってるやってる」と客観的に自分を見るように努力します。

さらに言えば、この落ち込みとプチ鬱は回復に必要な「儀式」のようなものだと。

そして思い出すのです。何度泣いても、何度落ち込んでも、何度悩んでも、ふっと気がつけばただ「生きている」し「生かされている」。楽しい気持ちになるときもあれば、幸せな気持ちになるときもある。だから今回も今はダメだけど、いつか気がつけば笑っていると。だから「大丈夫」と思うようにしています。

 心のメンテには鍼灸もお薦めです。

私はぎっくり腰になってある鍼灸師のところに通って、ふっと不妊治療の事を言ったら看板は掲げてないが、不妊治療に合わせた鍼灸もするというのでこの1年半通っています。
真面目に週1通って、医療費控除の対象になるので、年末に合計の領収書出してもらったら20万円超えてました!それでも私には憩いの場です。

 今日は治療日。腸が冷えていると温灸をたっぷり。その後鍼。鍼のときは指されながら深い眠りについてしまいました。この鍼灸通いの効果なのかは解りませんが、通い初めてから胚盤胞到達率はぐん!とあがりました。最初の40歳の時の体外でも胚盤胞は1個でしたが、前回は4個、今回は3個。なまじ胚盤胞に到達するので期待が膨らむのですが。

 ストレスがかかると背中がが盛り上がります。今日はその辺りもほぐしてもらいました。今夜はぐっすり眠れるといいな。

2015年9月16日水曜日

化学流産後の生理

化学流産は流産ではなく、普通は気がつかないから普通の生理とよく言われます。
流産ではないのだから落ち込む事ない。という人もいるかもしれませんが、
体外受精で不妊治療を続けていると、受精卵を目にします。三日目胚はお花のようでとっっても綺麗です。胚盤胞や脱出途中のものであれば、そこに「生命」を感じます。

そんな受精卵を子宮に入れて、ちょっとはしがみついてくれた、その事を知ってしまうだけにたとえ化学流産でも落ち込む人は落ち込むと思います。

私は落ち込みました。。。。

もちろんホルモンを止めて、急激なホルモンバランス変化でプチ鬱になるのかもしれませんが、それでもクリニックで結果をみた後、急に疲労感が全身を覆い、家に帰ってから体を思うように動きませんでした。

「もう慣れたでしょ?」と言われても・・・

移植16回目の化学流産です。何度となく陰性を告げられ、もう慣れっこ・・・なんて言えたらいいのですが、慣れません。

 閑話休題

タイトルと内容がずれてきました。

 月曜日に再判定で薬を止めたら、火曜日の朝、ドロっとした黒い塊の出血。生理が始まりました。でも鮮血でなく黒いです。出血しそうなのを薬でとめていたから黒いのでしょうか。量も初日にしては多めです。

 以外に早く生理がきたので、また今週末から凍結廃盤胞移植にむけて治療スタートです。今度もきっとホルモン補充周期。またまた体はむくむく浮腫むのでしょうか・・とほほです。

 まだ、プチ鬱状態

「しんどい、もう消えたい、仕事やだ」という私の奥底にいつもはしまっているものがでてきます。
 まぁそれでも、消えないし、仕事はやるし、仕事中はきっと周りからは元気に見られているでしょう。。。。だからしんどいのかなぁ?

 まだ プチ鬱ですね。。。失礼しました。

2015年9月14日月曜日

再判定日

再判定日でした。

クリニックの受付したあたりから、すでに緊張してしまって、殆ど涙目になってました。
旦那さんに愚痴のメールをすると


「ダメでも現状」

の返信。そう、私達は再婚同士なのですが、結婚を決める時にお互いに呪文のように話していたのが

「今回また失敗でも、最悪現状維持」

私は再婚に躊躇しました。また浮気されたら、またダメになったら
そんな時に知人に言われた言葉です。1人でもそれなりに幸せな日々でしたから、ダメになっても最悪現状。そう思ったら結婚に踏み切れました。

採血して待つ事40分

診察室に呼ばれました。もう移植16回です。先生の顔つき、態度で結果はわかります。
カルテを見て私を見ないときはダメのサイン。

HCG  0.6・・・

三回目の化学流産となりました。

帰りにワインを買いました。封印していたお酒を今日は飲もうと思います。

でも帰ってきたら大粒の涙がとまらなくなり、全身に怠惰感が襲いました。

「疲れた」正直な気持ちです。張っていた神経がぷすぷすと切れました。

旦那さんが電話してくれたのですが、「もうしんどい」としか言えませんでした。

それでも、凍結している胚盤胞5つ、初期胚2つ

まだ治療は続きます。

正直、もうダメなんじゃないかと自信を無くしています。
またあらためて書きますが、不妊治療の期待と絶望の繰り返しの中で
仕事も子作りにも自信を無くしかけています。

でも、それでも、前に進みたい。

今回は「現状維持」の結果になりました。

2015年9月8日火曜日

心の目で見る青い線

昨日の判定日のHCG数値が14.3

きっと化学流産になるのだろうけど、試しに妊娠検査薬を仕事帰りに買ってきました。
クリアブルーの50mlU/mLから反応するタイプのものです。

これ、高齢妊活あるあるですが、排卵検査薬や妊娠検査役をドラッグストアで買うのはとっても恥ずかしいのです。どうみても中年女が自分の為に買っているの?ときっと疑問に思われているだろうなぁと自意識過剰になってしまって。

「おいたした!と悩んでいる娘のため?」
「それとも嫁いびり?」

なんてね・・・。

閑話休題

家に帰って試してみました。。。。。結果


うすーいうすーいうすーいうすーいうすーいうすーいうすーい

所謂、「心の目」で見なければ見えない青い線でした。

50mlU/mLにはいってないという事ですよね。

ふぅ。ホルモン剤はまだ飲んでいるけど、続けてもきっとダメだろうなぁと思うと
何の為に飲んでいるのかと卑屈になるし、とはいえやめて本当はここから復活できる奇跡的な卵だったのにそれを自ら踏みつぶしてもいけないし。

もやもやな一週間になりそうです。でも仕事とイベント続きの一週間になる予定。

2015年9月7日月曜日

判定日

判定日でした。

初期胚移植の時は尿検査なのでそう思ってお手洗い我慢してクリニックにいきました。
受付で
「今日は採決が先です〜」

というので

「ん?」となりました。

これは不明確はありますが、凍結できる胚盤胞が多い場合には血液検査になる場合があるのです。(16回も判定しているとねぇいろいろ知ってしまう)

採決ルームで採決している時に私の”分厚い”カルテの上に胚凍結の資料があったので、この時点で少なくとも1つは胚盤胞になっていることが解り少しホッとしました。

待つ事40分。

診察室にいくと・・・・

HCG14.3mIU/ml・・・・・ 「またか」

通常50以上、いや100は欲しい4週でのHCG値が14.3でした。

これは着床したけどね・・・ちょっと難しいというか、殆ど・・・の水準

本当はもう可能性ないけど、一応ホルモン剤をあと1週間続けて来週再判定となりました。

移植2回目がHCG28で再判定で陰性
移植11回目がHCG6.8で再判定で陰性

今回が3回目となります。

もちろん可能性がないわけではありません。ブログ検索すると判定日に低い数値でもその後出産までたどり着いた方も散見されます。(本当に希望のブログ)

旦那様にメールしたら「なにはともあれお疲れ様でした」でした。

今回凍結できた胚盤胞は3個でした。
 ①5日目拡張期AB
 ②6日目脱出途中AA
 ③6日目拡張期BB

今凍結しているACとOPN由来よりグレードはよいです。それは良かったのですが、それだけにやるせない気持ちにもなります。もちろん採卵ができない方、胚盤胞まで行かない方に比べたら私はまだ希望が目に見えて恵まれているのですが。

クリニック側の技術進歩なのか、サプリの進歩か、鍼灸の効果なのか、言い方は悪いですが、なまじたくさん採卵できてしかも胚盤胞までも育ってくれる。だから一つは赤ちゃんになってくれる卵だと信じて移植を繰り返しています。
 結局今回がダメなら残りは初期胚2個、胚盤胞5個の七個。あと七ヶ月は治療を続けることになりました。

 とにかく!

今は来週の再判定まで普通に生きていくのみです。

 亡くなった長男の写真を見ながら、少し落ち込んで、また笑顔にしてみました。

 

2015年9月6日日曜日

判定日前日

採卵から15日目、移植から12日目 本当は昨日が判定日でもいいのだけど、土曜日はクリニックが予約で一杯。酷いときには3時間待ちなので、月曜日にしました。
 とはいえ・・・・何の兆候もなし。あいからわずルティナスで茶おりや出血はあるし、ブラジャーはきついけど、単に浮腫んでいるだけだし。寝汗もかかない。。。
 
 昨日、隣の隣の町の売り出し戸建てを散歩がてら見に行きました。今よりも大きなお家で、この辺では評判の公立小学校校区。子供がいたら考えるのですが、2人には大きすぎます。でも子供ができなかったら近くの大学に通う留学生の下宿屋をやりたいという夢もあって。それには十分な大きさなんです。

 帰り道、できたら買おうか・・・。とはいえ、残りの卵達を全てお迎えして、それでもダメなら後は採卵はあと1回が最後かなぁ。なんて話も夫婦でし始めました。

 できる事からコツコツ淡々と 旦那様にいつも言われている言葉。

 たまに励まされ、たまに「それができたら苦労しない!」と叫びたくなる言葉。

2015年9月2日水曜日

プロフィール

はじめまして。やすこと申します。

39での遅い再婚以来4年、子供を授かりたくて不妊治療を重ねてきました。現在44歳。まつげに白髪が生えてきた中年です。もうそろそろ覚悟を決めないといけないと思いつつ、幸いにも卵は良く採れ、胚盤胞にもなるので移植を繰り返しています。

これまで様々な事がありました。波瀾万丈の人生ですが、ひとつひとつの苦しみと悲しみがきっと私が生きる意味なんだろうと感じています。とはいえ「これであなたもまた一回り大きくなれるわよ」と言われた時には「そんな大きな人間になんかならなくていいからお子を抱きたいのよ!」と叫びたくなります。

過去は辛いです。「人生は将来にあり」後ろ向きになりがちな私をなんとか現在に留め置いてくれている言葉です。正直「消えてなくなりたーい」と思います。でもそれでも頑張ります。

以下ざっくりした治療歴です。

2011年8月 初クリニック(39歳)
      子宮筋腫以外は特に異常なしAMHも36歳相当

2012年1月 ①初体外受精ショート法(40歳)
       (1)新鮮三日目胚2個(G1)移植 → 陰性
       (2)凍結胚盤胞BA → 科学流産 HCG28
    7月 子宮鏡下筋腫除去手術
2012年9月 ②ショート法
       (3)新鮮三日目胚G1、G3 → 陰性 (胚盤胞なし)
2013年1月 ③ショート法(41歳)
       (4)新鮮三日目胚G2、G3b → 陽性(当初双子)
       11週 双子の1人がバニシング
       21週 切迫流産 入院
       24週2日 息子出産 →30分でお空に帰る
        (肺ができていない状態でした。とってもかわいい600gの男の子
       出生届と死亡届を同時に出しました。
       この後胎盤遺残で治療復帰できず
2013年10月 ④アンタゴニスト法 → 排卵済みで採卵中止
2014年1月  ⑤ロング法(42歳)
        (5)新鮮三日目胚 G3b、G2 →陰性
        (6)凍結胚盤胞 BB →陰性
2014年4月 ⑥ショート法
        (7)新鮮三日目胚 G3b →陰性 (胚盤胞2個凍結)
2014年6月 ⑦マイルド法
        (8)新鮮三日目胚 G3b G4 →陰性
※焦りすぎて刺激の採卵を短期間で3回もしてしまい、心も体もボロボロになりました。命日返りといって息子の命日月になると涙が止まらず、結果も段々悪くなるのでカウンセリングを受けていました

2014年8月 ⑧アンタゴニスト法 
        以前にアンタゴニスト法で失敗しているので避けていましたが、どうやら私はショート法よりアンタゴニスト法の方が卵胞がたくさん育ってしまいます。
OHSSなりかけで全胚凍結(新鮮2個 胚盤胞2個)

2014年10月   (9)胚盤胞 BB →陰性
2014年12月   (10)胚盤胞 AA →陰性
2015年2月   (11)胚盤胞 BC → 化学流産
2015年3月 ⑨アンタゴニスト法(43歳) 
         (12)新鮮2日目胚 G2 →陰性 ※胚盤胞4個凍結
2015年4月    (13)胚盤胞 AA →陰性
2015年5月    (14)胚盤胞 AA →陰性
2015年7月   (15)胚盤胞 BB →陰性
2015年8月 ⑩アンタゴニスト法(43歳)
         (16)新鮮3日目胚 G2 G3b → HCG14.3 →HCG0.6リセット2015年10月  (17)新鮮胚(G2)+胚盤胞(AA)二段階 → 陰性
2015年11月  (18)胚盤胞AB → 陰性
2015年12月  (19)胚盤胞BB → 陰性
2016年2月   (20)胚盤胞AC → 陰性
2016年3月 ⑪アンタゴニスト法(44歳)
        (21)新鮮胚2日目胚4細胞グレード3bを2個→HCG20.5
        その後、一時はHCGが下がるも、翌週にはあがり、胎嚢も2㎝まで育ったが、初期流産となりました。
2016年7月   (22)凍結初期胚(42歳卵)(2日目 8細胞 グレード3b) → 陰性
(2016年8月追記)

ふぅ。ここまで書くと私も頑張ってきたなぁと思うのですが、誕生死後鍼灸に通いったのがよかったのか、年齢はあがり卵のグレードは良くないけれど胚盤胞まで育つ卵が増えてきました。 DHEAやビタミン剤、そしてクリニックがエンブリオスコープを導入してから顕微授精の時だけですが、胚盤胞到達ができるようになっていました。だからこそ大きな「期待」をして、そして「絶望」・・・・の繰り返し。毎回泣きます。
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