はじめまして。やすこと申します。
39での遅い再婚以来4年、子供を授かりたくて不妊治療を重ねてきました。現在44歳。まつげに白髪が生えてきた中年です。もうそろそろ覚悟を決めないといけないと思いつつ、幸いにも卵は良く採れ、胚盤胞にもなるので移植を繰り返しています。
これまで様々な事がありました。波瀾万丈の人生ですが、ひとつひとつの苦しみと悲しみがきっと私が生きる意味なんだろうと感じています。とはいえ「これであなたもまた一回り大きくなれるわよ」と言われた時には「そんな大きな人間になんかならなくていいからお子を抱きたいのよ!」と叫びたくなります。
過去は辛いです。「人生は将来にあり」後ろ向きになりがちな私をなんとか現在に留め置いてくれている言葉です。正直「消えてなくなりたーい」と思います。でもそれでも頑張ります。
以下ざっくりした治療歴です。
2011年8月 初クリニック(39歳)
子宮筋腫以外は特に異常なしAMHも36歳相当
2012年1月 ①初体外受精ショート法(40歳)
(1)新鮮三日目胚2個(G1)移植 → 陰性
(2)凍結胚盤胞BA → 科学流産 HCG28
7月 子宮鏡下筋腫除去手術
2012年9月 ②ショート法
(3)新鮮三日目胚G1、G3 → 陰性 (胚盤胞なし)
2013年1月 ③ショート法(41歳)
(4)新鮮三日目胚G2、G3b → 陽性(当初双子)
11週 双子の1人がバニシング
21週 切迫流産 入院
24週2日 息子出産 →30分でお空に帰る
(肺ができていない状態でした。とってもかわいい600gの男の子
出生届と死亡届を同時に出しました。
この後胎盤遺残で治療復帰できず
2013年10月 ④アンタゴニスト法 → 排卵済みで採卵中止
2014年1月 ⑤ロング法(42歳)
(5)新鮮三日目胚 G3b、G2 →陰性
(6)凍結胚盤胞 BB →陰性
2014年4月 ⑥ショート法
(7)新鮮三日目胚 G3b →陰性 (胚盤胞2個凍結)
2014年6月 ⑦マイルド法
(8)新鮮三日目胚 G3b G4 →陰性
※焦りすぎて刺激の採卵を短期間で3回もしてしまい、心も体もボロボロになりました。命日返りといって息子の命日月になると涙が止まらず、結果も段々悪くなるのでカウンセリングを受けていました
2014年8月 ⑧アンタゴニスト法
以前にアンタゴニスト法で失敗しているので避けていましたが、どうやら私はショート法よりアンタゴニスト法の方が卵胞がたくさん育ってしまいます。
OHSSなりかけで全胚凍結(新鮮2個 胚盤胞2個)
2014年10月 (9)胚盤胞 BB →陰性
2014年12月 (10)胚盤胞 AA →陰性
2015年2月 (11)胚盤胞 BC → 化学流産
2015年3月 ⑨アンタゴニスト法(43歳)
(12)新鮮2日目胚 G2 →陰性 ※胚盤胞4個凍結
2015年4月 (13)胚盤胞 AA →陰性
2015年5月 (14)胚盤胞 AA →陰性
2015年7月 (15)胚盤胞 BB →陰性
2015年8月 ⑩アンタゴニスト法(43歳)
(16)新鮮3日目胚 G2 G3b → HCG14.3 →HCG0.6リセット2015年10月 (17)新鮮胚(G2)+胚盤胞(AA)二段階 → 陰性
2015年11月 (18)胚盤胞AB → 陰性
2015年12月 (19)胚盤胞BB → 陰性
2016年2月 (20)胚盤胞AC → 陰性
2016年3月 ⑪アンタゴニスト法(44歳)
(21)新鮮胚2日目胚4細胞グレード3bを2個→HCG20.5
その後、一時はHCGが下がるも、翌週にはあがり、胎嚢も2㎝まで育ったが、初期流産となりました。
2016年7月 (22)凍結初期胚(42歳卵)(2日目 8細胞 グレード3b) → 陰性
(2016年8月追記)
ふぅ。ここまで書くと私も頑張ってきたなぁと思うのですが、誕生死後鍼灸に通いったのがよかったのか、年齢はあがり卵のグレードは良くないけれど胚盤胞まで育つ卵が増えてきました。 DHEAやビタミン剤、そしてクリニックがエンブリオスコープを導入してから顕微授精の時だけですが、胚盤胞到達ができるようになっていました。だからこそ大きな「期待」をして、そして「絶望」・・・・の繰り返し。毎回泣きます。
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